口内炎地獄を救ってくれた小さな英雄の話
ついに歯列矯正が始まったあの日、私は浮かれていた。長年のコンプレックスから解放される未来を想像し、多少の痛みは覚悟の上だった。しかし、その覚悟は三日目にして脆くも崩れ去った。頬の内側にできた、痛々しい口内炎のせいだ。ブラケットが常に同じ場所を刺激し続け、日に日に痛みは増していく。温かいスープが染み、友達との会話で口を動かすのさえ苦痛になった。もう矯正なんてやめてしまいたい。そんな弱音が頭をよぎった時、ふと歯科衛生士さんに渡された小さなケースを思い出した。「痛かったら使ってくださいね」と笑顔で言われた、あの粘土みたいな塊。それが歯列矯正用ワックスだった。正直、こんなもので痛みがなくなるとは思えず、半信半疑で説明書通りに使ってみた。米粒大にちぎり、問題のブラケットに押し付ける。すると、どうだろう。さっきまで槍のように突き刺さっていた刺激が、嘘のように消えたのだ。口の中で感じていた異物感が、滑らかなクッションに変わった。その瞬間の安堵感は、今でも忘れられない。まるで、荒れ狂う嵐の海で、小さな救命ボートに拾い上げられたような感覚だった。ワックスのおかげで、私はその後の食事を何とか乗り切り、夜もぐっすり眠ることができた。あの日以来、ワックスは私の矯正生活に欠かせない「英雄」になった。ポーチの中には必ず予備を入れ、いつ痛みに襲われてもいいように備えている。この小さな英雄がいなければ、私はとっくに矯正を挫折していたかもしれない。